大きなお母さん

大きなお母さん

今までの自分の軌跡を想い出してみると、そこには常に母の存在があった。母は偉大で尊敬できる女性。ぶれることのない大きな女性。

私を女でひとつで育ててくれた。
自分に厳しく、そして人にもかなり厳しい。

泣き虫だった幼少時代。泣いて家に帰ると、なぐさめてくれるかと思いきや・・「泣いて帰ってくるんじゃない」と厳しい口調で言われた。当時は、なんて厳しいのだろう・・・と、思っていた。

少しだけ大きくなった頃、母のアドバイスや助言が言葉がうるさいな・・・と感じるようになった。好き勝手して、母の言うことに耳を傾けることは一切なくなった。私が母の言葉を無視すると、ものすごい恐ろしいオーラを出し一喝されたこともあった。

ツンケンした態度をとっていた私も一瞬にして、ひるんでしまったのを覚えている・・・笑

少しギクシャクしていた時期、反抗期だったのかな・・・
れなりに楽しくは過ごしていたけれど、母の忠告を無視して、正直“失敗したなぁ”と感じたこともあった

仕事をがむしゃらにしている、という印象だった母だが
母なりにコミュニケーションを取ろうとしてくれていたのか
週に1回2回は夜、本屋さんに連れて行ってくれた。
私が、“面倒” と一言返しても、“いいから行くよ”と一言。

なんとなく着いて行っていた。
今思えば大切な時間だった。

この時間がなかったら学生時代は、もしかしたら母との時間はほとんどなかったのかもしれない・・・
大人になって、学生時代では考えられないほど、母とは良好な関係を築けていた。

社会人5年目になり結婚を意識するようになった。母に会ってほしい人がいる。
と 話しを切り出すと 快く了承してくれた。

すると 「お付き合いしてどれぐらいになるの?」 と。
「3年ぐらいかな・・・」
「やっぱり」
「ん?」
「私が厳しく育てたせいかもしれないけれど、ずっと気を張ってるというか、そんな印象があったのよね。だけど2年半前ぐらいから 柔らかくなったな・・・と思っていたんだよ。自分の弱い部分も受け入れて好きになれたのかもね。その人に出会ってきっと変わったんだね」

そんな風に思っていたなんて考えてもいなかった
母は厳しく、そして、優しく真っ直ぐ、いつも私を見ていてくれたのだ。何もかも自分の思い通りにしてきたけれど
きっとお母さんが言っていたことは全て正しかったんだよね

今まで本当にありがとう、そして反抗ばかりしてごめんね

結婚式の日はありったけの感謝を伝えよう

これからも よろしくお願いします
大好きな母へ、新婦より贈り物

おかあさん
 

 

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